※2025年10月撮影

トップ画像は、近藤勇陣屋跡。何でイキナリ新撰組?

流山市観光協会の流山散歩に拠れば「幕末、流山は新撰組が屯集した地であり、最後の陣営地となりました。流山に集まっているとの情報を得た新政府軍に包囲された勇は、「流山に兵火を上げることは町の人々を苦しめることになる」と、流山を兵火に巻き込むことを嫌がり、慶応4年(1868)ここで自首をします。彼が流山を陣営地に選んだ理由は定かではありませんが、最終目的地である会津へ向かう為、官軍の手薄な道を選び、途中分散した同志を集め、新部隊を編制する目的で陣をしいたと考えられています。また、当時陣営地が敷かれたのは長岡という酒造家でした。現在では、酒類問屋(秋元)になっています。」

近藤勇は、自首した1868年(慶応4年 10月23日から明治元年)4月25日江戸板橋で斬首されます。満33歳でした。土方も翌年函館にて、満34歳で戦死。好きだった司馬遼太郎氏の『燃えよ剣』を思い出します。

※2025年10月撮影

流山市観光協会の流山散歩に拠れば「本陣として使われた建物は現在は取り壊され、秋元家の駐車場となっていますが、本陣の土台石が土蔵前休憩スポットに移設され、当時の階段が流山市立博物館に展示されています。跡地にある土蔵は「秋元家住宅土蔵」で、2018年5月に国登録有形文化財に登録されました。本陣とされた建物は現存していませんが、新選組ファンなどが訪れるなど、流山市の一つの観光地として親しまれています。」

隣に酒類問屋秋元さんの店舗。

※2025年10月撮影

近藤勇が最後に闘いを諦めた場所。

※2025年10月撮影

流山街道に出て北にむかって歩いています。

※2025年10月撮影

流山市立図書館、流山市立博物館の案内標識がありました。

※2025年10月撮影

近藤勇陣屋跡から1km弱という感じです。

※2025年10月撮影

けっこうすごい坂を上がります。

※2025年10月撮影

合計50メートルくらい急坂を登りました。

※2025年10月撮影

流山市立博物館に到着。

※2025年10月撮影

令和7年(2025年)8月から、改修工事のため長期休館中です。但し館員の方は、いらっしゃいます。詳細は案内をご覧ください。

筆者は、学芸員の方と面談。流山市立博物館調査研究報告書24『流山庚申塔探訪』(編集発行:流山市教育委員会 平成19年(2007)3月25日発行)をわけていただきました。

ここに案内があります。

庚申塔の研究書を入手したので流山市内の庚申塔343基の分布も分かる様になりました。流山セントラルパーク駅から徒歩範囲を探して、思井熊野神社に白羽の矢をたてました。

次回は、思井熊野神社に向かいます。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などはつくばエクスプレス(首都圏新都市鉄道株式会社)の許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

※参照資料

首都圏新都市鉄道株式会社 会社要覧2024

るるぶ情報板関東31 つくばエクスプレス JTBパブリシング 2025年5月1日

つくばエクスプレス沿線アルバム 生田誠 山田亮 アルファベータブックス 2023年8月5日

つくばスタイル No.12 枻出版 2011年4月10日

つくばエクスプレス 最強のまちづくり 塚本一也 創英社 2014年10月23日 他

流山市の庚申塔については 流山市立博物館調査研究報告書『流山庚申塔探訪』流山市教育委員会発行を参照しています

【関連リンク】