※流石に三陸鉄道の車両写真が底をつきました。同じ写真を使い回しますので御宥恕ください。言い換えれば、三陸鉄道リアス線を盛駅から久慈駅まで乗りましたが、その間、すれ違った車両が少なかったのです。

岩泉小本駅ホーム。後方、宮古方面を見ています。バリアフリー化でエレベーターが設置されています。左側には駅舎を兼ねている「小本津波防災センター」があります。

前方にはまたトンネルが待っています。防寒の待合室、手前には灰皿もあります。いいですね。

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トンネルの手前、側線に除雪車両が駐められています。

銘板は読めませんが小本トンネル。これもまた長いトンネルです。5154m。(5174mとなっている資料もあります)

小本トンネルを出ると橋梁を渡ってまたトンネルに入ります。この谷間は、ほとんど道路が無いエリアです。右(東)に800m程でリアス式海岸の小さな浜があり、浜の南側にはリアス式海岸の景観が有名な鵜ノ巣断崖です。

切牛トンネル(1824m)。トンネルの上に切牛という地区があります。小さな集落もあります。

切牛トンネルを出て橋梁を渡ります。右の建築物は新しいので航空写真で確認してもまだ存在していませんでした。震災で被災した後に、新しく道路が工事されていました。

浜考トンネル(529m)。真っ直ぐなので向こうの坑口が見えています。

ようやく、気持ち良く視界が開けました。しかし、ここにも津波の爪痕、人の住まない更地が広がっています。もともと震災前、三陸鉄道の海側に人家はほとんどありませんでした。海水浴場になる穏やかな砂浜が広がっていました。しかし、山側には住宅がたくさんあったのです。それが全て津波で失われてしまったのです。

駅予告票。島越駅です。旧駅は右のドームの見える広場辺りにありました。震災の津波で高架線は崩落、駅舎は流失してしまいました。阪神大震災でも高架橋は比較的地震に耐えて残っていましたが、津波の破壊力は桁違いの様です。

ドームの左側に見える石碑は震災以前からある宮沢賢治の詩碑でしょう。手前の工事中の元駅前広場らしき場所にも新しい石碑が2つ見えます。流失してしまった旧駅舎や高架線を記録する石碑かもしれません。

被災以前は既述の様に高架線でしたが、全て流されて、津波防波堤を兼ねた築堤に新しく作り替えられています。路盤も枕木も新しいものになっています。でもこの高さでは、同規模の津波に襲われたら車両が流されてしまうのではないかと、少し心配になりませんか? 余計なお世話ですが。

【私鉄に乗ろう98】三陸鉄道リアス線その30 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)