田園風景の中をのんびり・ゆっくり走る 富良野・美瑛ノロッコ1号乗車記【4】 ラベンダー畑・中富良野編

2020.08.09

(前回)田園風景の中をのんびり・ゆっくり走る 富良野・美瑛ノロッコ1号乗車記【3】 美馬牛・上富良野編
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新型コロナウイルスの影響を受けて延期されていた「富良野・美瑛ノロッコ号」の運行が約1ヵ月遅れて開始されました。本年は富良野線開業120周年記念として、スタンプラリーなど特別企画が用意されています。今年度初運転となる7月18日に富良野・美瑛ノロッコ1号に乗車しました。今回はラベンダー畑駅・中富良野駅とその周辺を紹介します。

ラベンダー畑駅は夏季のみ開業する臨時駅

富良野・美瑛ノロッコ号の車内がよい香りに包まれ、ラベンダー畑駅に到着しました。ファーム富田などの観光客を見込んで1999年に夏季限定の臨時駅として開業。2020年はノロッコ号のみが停車しています。ファーム富田までは徒歩7分ほど。中富良野駅から徒歩で行くと30分近くもかかるので、ラベンダー畑駅ができたことで大幅な時間短縮になりました。

ファーム富田の歴史

挫折の上に栄光を築き上げたラベンダーの歴史

今でこそファーム富田は富良野エリアを代表する観光地ですが、その栄光は我慢の末につかみ取った結果でした。中富良野でラベンダーが栽培されたのは1952年のこと。富良野地方におけるラベンダー栽培の先駆者である上田美一氏の畑を見た、若き日の富田忠雄氏はこれまでの農業と異なるスタイルに衝撃を受けました。

ラベンダー衰退の時期も経験

1958年に忠雄氏は幸子さんと結婚。念願だったラベンダー栽培を本格的にスタートさせます。10aからスタートした畑は、7年後には1.2haに拡大。1970年にはピークを向かえ250戸もの農家がラベンダーを栽培しました。しかし1972年に合成香料の急激な技術進歩と貿易の自由化による安価な輸入香料の台頭で、香料会社のラベンダーオイルの買い上げ価格が下落。採算が取れず栽培をやめる農家が後を絶ちませんでした。

トラディショナル・ファームはファーム富田の礎

ファーム富田も「もはやこれまで」とラベンダー栽培を諦めて畑にトラクターを踏み入れましたが、ラベンダーが愛しくて潰すことができずに畑が残されました。1976年に奇跡が起こります。当時の国鉄のカレンダーにラベンダー畑と気動車の写真が採用され、全国から注目を集めたのです。その後も各メディアで紹介され、富良野エリアは「ラベンダーの町」として定着しました。「もしファーム富田がラベンダー栽培を諦めていたらカレンダーにも採用されず、ノロッコ号も運行されていなかったかも知れない」。そう思うと不思議な縁を感じずにいられません。

1976年のアングルでノロッコ号を撮影

ラベンダーと列車を撮影するなら「トラディショナルラベンダー畑」で決まり。この畑こそが国鉄のカレンダーに採用された撮影ポイントです。中富良野町立ラベンダー畑や、上富良野の日の出公園でもトライしてみましたが、林や民家で列車が隠れてしまったり、線路が遠方すぎるなど不都合が生じるので、ここがベストポジションです。ラベンダーの香りに包まれながら撮影に没頭してはいかがでしょうか。

ラベンダーの妖精がお出迎え

中富良野駅では「ラベンダーの妖精」が出現して、ラベンダーのドライフラワーを配ってくれました。たまにしか姿を現さない妖精で出会えた人はとってもラッキーだそうです。妖精さんのおかげで車内のラベンダー濃度が最高潮に。終点の富良野駅はもうすぐ。旅の終わりに向かってノロッコ号は進み続けます。

文/写真:吉田匡和

「田園風景の中をのんびり・ゆっくり走る 富良野・美瑛ノロッコ1号乗車紀【5】」は2020年8月10日(日)9時頃の掲載を予定しています。(鉄道チャンネル編集部)

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