オールを4本、両肩に担いで淀川へとおりていくボート部の女子学生、アイボリーに塗られた 18 淀川橋りょう、生駒山から連なる山々とすかっと抜けるような青空、小鳥の鳴き声と踏切の音……。

ここは城東貨物線 淀川橋りょう。10年前の光景。いまこんなおだやかな風景はなく、鉄橋の歩道や亀岡街道踏切も消え、線路はフェンスで仕切られてる。

おおさか東線になる前は、鉄道橋 人道橋 併用だった

この淀川橋りょうは、もともと複線ぶんの幅で建設され、1929(昭和4)年に竣工。

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当時の輸送量から、淀川下流側(おおさか東線 新大阪方面)だけに線路を敷き、上流側(おおさか東線 久宝寺方面)は、画像↑↑↑のように歩道・自転車道だった。

ジョギングや散歩、サイクリングする人たちのすぐ脇を、こうして電気機関車やディーゼル機関車がけん引する貨物列車などが走っていた。

淀川橋りょうは、赤川鉄橋とか、「18」と記されているとおり十八門鉄橋とも呼ばれていた。

画像↓↓↓は、久宝寺方面へと行くEF66形電気機関車133号機。

JR貨物が川崎重工業に33両発注した100番台の最終ロットで、いまも吹田機関区に所属し大阪を中心に活躍している。

―――この淀川橋りょうの歩道・自転車道は、おおさか東線 整備にむけて2013(平成25)年10月に閉鎖。

この淀川橋りょうを複線化するのに、もともと歩道だったスペースに新たに線路を敷き、この新線側に貨物列車を走らせながら、従来あった新大阪方面線路を再整備するという工程を経て、現在に至っている。