小田急&銚電コラボ!ロマンスカーミュージアムで鉄道の仕組みと歴史学ぶイベント【レポート】
小田急で逃げる!? 放送禁止処分を受けた歌で一躍注目
ここから、今回初めて車内が公開された「モハ1」からたどる小田急の歩み。小田急の創業者は大分県出身で、弁護士から政界入りした利光鶴松です。
利光は当初、地下鉄を志向しましたが実現できず、目標を郊外電車に。昭和2年目の1927年4月、「小田原急行鉄道」の社名で、新宿ー小田原間を一気に開業しました。
これも有名な話ですが、小田急の名を広めたのが戦前の大ヒット曲「東京行進曲」。4番の歌詞は「シネマ見ましょか、お茶飲みましょか、いっそ小田急で逃げましょか」。
ところが、「歌詞が柔らかすぎて不穏当」と放送禁止処分を受けたそう。今なら〝大炎上必至〟?。しかし、歌のお陰で小田急は一躍注目を集めました。のどかな時代でした。
小田急から熊本へ、そして小田急に帰還

ロマンスカーミュージアムのモハ1の10号車は、片側3扉ロングシートの通勤型電車で、新宿と近郊区間を結びました。
両運転台で地方鉄道でも使い勝手が良く、1959年には4両が熊本電気鉄道に譲渡。1981年には熊本でも廃車になりましたが、小田急が開業当時の車両を探していた時期に重なり、20年余を経て小田急に復帰しました。
車内をみれば、運転席には加速用の制御器(マスコン)とブレーキがあるだけで、メーター類も圧力計だけです。なぜかワイパーもありません。
学芸員の方に「雨の日はどうしたの」と聞いてみても、答えは「よく分かりません」。実は小田急にも創業時の車両の資料はなく、一部想像で復元した部分もあるそうです。
ベテラン鉄道ファンの方、小田急か熊本で乗車した経験をお持ちの方、アドバイスよろしくお願いします。
木製車両の金属パーツに興味
ロマンスカーミュージアムを訪れるファンや子どもたちの興味は、もちろんロマンスカー。それでもモハ1の公開ツアー目当てに、来館した方もいます。
相模原市の中学生、興味があるのは「モハ1の金属」。確かに、車体のほとんどは木製ですが、ドアの留め具(初期の小田急車はドアエンジンが未装着で、手動で開閉していました)や、窓の保護棒などが金属製です。
さすが筋金入りの小田急ファン、目の付け所が違う。案内を担当した学芸員の方も、目を丸くしていました。


鉄道展示施設の相互ネットワーク
ロマンカーミュージアムでのイベントレポートは以上。今後もミュージアムではさまざまな催しを開催するそうなので、ホームページなどをチェックしてみてください。
ラストは、ミュージアム広報の方から聞いた話。最近、鉄道各社は車両展示などファンサービスに取り組みますが、呼応する形で会社間をまたぐ情報ネットワークも立ち上がったそうです。
標準軌も狭軌もモノレールも新交通システムも関係なし。鉄道博物館の相互乗り入れなら大歓迎ですね。
記事:上里夏生