※この「私鉄に乗ろう」の写真は、筆者がプライベートな旅で撮影したものです。鉄道会社さんから許可をいただいていませんので、乗車券があれば誰でも入れる場所から、手持ちで撮影したスナップ写真です。ポケットに入るコンパクト・デジタルカメラ(SONY DSC-WX500)で撮影しています。2018年9月6日に撮影した写真です。

【私鉄に乗ろう 79】上信電鉄再挑戦その1

こちらも2016年11月20日【私鉄に乗ろう03】上信電鉄で一度取り上げていますが、もう一度乗って全駅の前面展望を取り直してみました。

1897年(明治30年)に上野(こうずけ)鉄道として高崎〜下仁田間で開業してから、昨年で120周年という歴史のある鉄道会社です。上信電気鉄道に商号変更したのは1921年(大正10年)。元々は上州と信州を結ぶという最終目標で付けられた社名だったのです。下仁田から西に40km程で佐久市、信州に至ります。ただしその区間は余地峠など山々が延々と横たわっています。つまり鉄道を容易に敷設できる地帯ではないのです。

ADVERTISEMENT

上野鉄道は軌間762mmの軽便鉄道で始まりましたが、1924年(大正13年)には全線が電化され、軌間も狭軌(1067mm)に改軌されました。商号が現在の上信電鉄になったのは1964年(昭和39年)東京オリンピックが開かれた年でした。

私鉄に乗ろう03】上信電鉄から2年が経ちましたが、その間に、上信電鉄に特段の変化は無いと思います。日々、営々と運行が続けられているのです。

こうして筆者は乗り行って、わずかな時間を上信電鉄で過ごすのですが、極端なことを言えば120年間に渡って鉄道は休まず運行されてきましたし、また明日からも動かし続ける人々がいるのです。その時間と営為を思うといつも静かに感動を覚えます。

初回と内容的に重複する箇所が若干ありますが、よろしかったら「再挑戦」をご笑覧ください。写真のクオリティーがホンの少し上がっているかもしれません。オリジナル記事もそのままにしておきますので2年間の変化をご覧ください。

JR高崎駅から乗ります。

階段を降りて上信電鉄乗り場へ。

2012年(平成24年)までは、JR高崎線ホームから直接来るコトができましたが、今はいったんJRの改札を出てあらためて上信電鉄乗り場に向かいます。入口の駅そばもかつてはJRからダイレクトに来る人で賑わっていました。

そうは言っても、ここはJRの1番ホームです。

延々と1番線を歩いた先に上信電鉄の改札があります。

上信電鉄は0番ホーム。JR東日本から上信電鉄が賃借しています。

駅名標。これはちょっと古い感じ。最近のデザインはもっと余白があって上品です。

これから下仁田に向かう先頭車両、1981年(昭和56年)に今は無き新潟鐵工所で製造された上信電鉄250形電車デハ251です。

デハ251の前部。タブレット交換の必要があった頃の名残で運転台は右側にあります。これはカナリ珍しいことですが上信電鉄発注のオリジナル車両は最新の7000形を除いて全て運転台は右側です。

車内の銘板。新潟鐵工所昭和56年。

構内に上信電鉄デキ1形電気機関車が駐まっていました。1924年(大正13年)に改軌・電化された際にドイツから輸入されました。このデキ1とデキ3が現役でファンからは「シーラカンス」と呼ばれています。

ちなみにこちらは2016年11月16日に乗った時に高崎駅構内で見かけたデキ1形電気機関車。デキ1か3かは正面なので分かりません。

上信電鉄、出発する前から楽しい!

【私鉄に乗ろう 79】上信電鉄再挑戦 その2 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)