コラム 全通40周年 三江線の去就が気にかかる

2016.07.23

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2015年(平成27年)JR西日本の三江線は全通40周年を迎えた。

1975年(昭和50年)山陽新幹線の岡山~博多が開業し「ひかり」が東京~博多間の直通運転を開始した年に三江線は全通したのである。ずいぶん遅い全通だ。

筆者も何度か三次~江津間に乗車したが、ハッキリ言って乗降客数は少ない。まず三次~江津間、直線距離だと60km足らずだが、江の川に沿って走る三江線の線路は大きく迂回し108.1kmにもなる。

その108kmを三江線は228分をかけて走っている。平均時速で言えば28.4km/hという自転車なみのスピードなのだ。

三江線が全通した1975年(昭和50年)わが国の乗用車の保有台数は1600万台を超えた。1972年(昭和47年)に1000万台を超えてからモータリゼーションは加速度的に進行したのである。特に1976年(昭和51年)に軽自動車の規格が550ccに拡大され急速な普及に拍車をかけた。

この様な時代に三江線は全通したのだ、その苦戦は想像に剰りある。

2014年(平成26年)4月にJR東日本の岩泉線が廃止された。輸送密度で言えば土砂災害で岩泉線が運休になる前年(2009年)が46人/日。おおまかに輸送密度1500人/日が営業収支の分岐点とも言われているのだから、これはすごい数字である。JRきっての赤字路線だった。

三江線の2008年度(平成20年)の1日平均利用客は全区間合計で370人。輸送密度は83人/日(2008年)であり、岩泉線なき今、JRでは断トツの赤字路線だ。地元も危機感を強めて以下の団体が作られた。

・三江線改良利用促進期成同盟会

:沿線の江津市・川本町・美郷町・邑南町・安芸高田市・三次市で組織。

・三江線活性化協議会

:沿線の江津市・川本町・美郷町・邑南町・安芸高田市・三次市の行政・住民代表、島根県、島根県立大学、JR西日本米子支社などが連携し2010年(平成22年)には「三江線沿線地域公共交通総合連携計画」を策定、この計画に沿った三江線活性化と利用促進に取り組んでいる。

「ぶらり三江線WEB」というサイトが作られ様々な情報が発信されている。充実した良いサイトだ。
http://sankousen.com

廃線に対しては沿線の代替道路整備の遅れや上記の様な住民の反対運動もあって現状維持が続いてきた。

しかし、2015年10月にJR西日本は三江線廃止に向けての検討を開始したことを地元広島・島根両県に伝えた。メディアなどによると2017年度の廃止も俎上に上がっているという。

赤字ローカル線の経営が俎上に上がる度に言ってきたが、あくまでも鉄道は大量の物資(乗客)を安定的に輸送するためのインフラである。敢えて言えば、美しく長閑な車窓やのんびりした沿線の風情は文芸的な所感に過ぎない。(言うまでもなく筆者は文芸的に鉄道を溺愛しているのであるが)

インフラを維持するコストが捻出できない鉄道路線は沿線住民・自治体がその利便性を考慮した上で積極的に経営を補助しなければ存続が難しい。しかし第三セクター化した地方鉄道の多くが経営に苦しんでいるのも事実である。

では、三江線沿線の人口を拾い出してみよう。時々参照する不動産ネットワークからの数字なのであくまでも参考値であることをお断りしておく。乗車人数(人/日)も参照する。(数字は2013年)広島県内の乗車人員データが無いが、総じて人口希薄なエリアである。何故か飛び地的に広島県の駅である伊賀和志のデータはある。
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沿線の駅周辺人口が多いとはおよそ言えないだろう。

沿線人口の参考値となる始発駅と終点駅を除いた33駅の500m以内に住む人口の合計を見てみると、2009人。1駅当たり半径500m以内に61人しか住んでいる人がいない。というよりも上の表を見れば分かる様に100人未満の駅が20もあるのだ。

つまり沿線1km当たり20人が住んでいるという数字なのだ。100mに2人。残念だが、少な過ぎる。

徒歩圏内(だいたい15~20分)の駅から1km以内に範囲を拡大しても途中駅の住民合計が2326人である。

さて、江津本町の半径1kmには2000人近い住民が住んでいるにもかかわらず利用者は2006年以降7年間0人である。始発の江津駅に近いからかもしれないが。

では1km以内の住民が532人にもかかわらず乗車人数が40人/日の川戸駅の場合、三次方面始発が06:29(三次09:21着)、江津方面始発が07:46(江津08:15着)だ。この乗車人員の違いはどこから生じてくるのか。

駅周辺住民と乗車人員の因果関係が上の表からも判然としない。

いずれにせよ沿線住民の絶対数が少ないことが利用者が少ない理由であることは間違いないだろう。筆者が何度か三江線に乗車した時も(青春18きっぷの期間だったこともあって)乗客のほとんどが筆者の様な鉄道ファンと思しき人たちだった。

では何故この様な人口の少ないエリアに三江線が建設されたのか、歴史を振り返ってみよう。

三江線は三江北線と三江南線、別々に建設が進められた。

三江北線 江津~浜原間(50.1km) 区間最高速度65km/h

・1926年(昭和元年)9月起工
・1937年(昭和12年)江津~浜原間開業 当時は三江線と称した
・1955年(昭和30年)三江南線(三次~式敷間)開業により三江北線と改称

三江南線 三次~口羽間(28.4km) 区間最高速度65km/h

・1936年(昭和11年)着工
・1963年(昭和38年)三次~口羽間開業

三江線全通まで 浜原~口羽間(29.6km)

1966年(昭和41年)浜原~口羽間着工
1975年(昭和50年)浜原~口羽間開通 鉄建公団による高規格でこの部分の最高速は85km/h

つまりモータリゼーションの遥か以前、昭和元年に三江線の建設は始まっていたのである。しかし三江南線の着工は1936(昭和11年)だが太平洋戦争などの影響もあって竣工が1963年(昭和38年)と工事に27年もの期間が費やされている。

さらに鉄建公団が浜原~口羽間の工事に着工したのが1966年(昭和41年)、既にモータリゼーションはとば口に差し掛かっていた。

そして冒頭に書いた様に1975年(昭和50年)に全通した時には世の中はクルマ社会になっていた。

しかも三江北線(50.1km)と三江南線(28.4km) の区間(78.5km)は全体の73%にもなるのだが、建設された時期が古く低規格の線路なので列車はスピードが出せない。

島根県東部の出雲市、松江方面、西部の浜田方面と広島県を結ぶルートとしては直線距離の1.8倍もの距離を走るので迂回路となり山陰・山陽連絡路線の機能が果たせない。

ここまで書いてきて解決策が本当に難しいと溜息がでてしまう。

・沿線人口が少ない(特に広島県北の山間部、島根県の山間部という人口の少ない地域を走っている上に人口の増加は見込み薄)
・運行スピードが遅い(改善の余地がほとんど無い)
・運転本数が少ないので利用し難い(運行本数を増やせばますます赤字が拡大するだろう)

また沿線に有名な観光名所がない。観光客を誘致するだけの魅力的なものを、全国でも作ろうと自治体の多くが努力しているが、簡単には作り出せない。

昨年三江線に乗車していた時に、たまたま宇都井駅でサービスで停車時間を多めにとってくれた。少なからぬ鉄道ファンが乗っていたので乗客は大喜びだった。

しかし、まさにこれは地元の利用者が少ないことが前提のサービスではないだろうか。

この宇都井駅は地上から20mの高さにある駅で鉄道ファンには有名なのだが、鉄道ファンだけで三江線の赤字解消は無理だ。

簡単に解決策があれば地元もJR西日本も苦労しないことは分かっているのだが。

最後に全通後の災害などによる不通の記録。

・1972年(昭和47年)豪雨による災害で三江北線 明塚~粕淵間が年末まで約半年間不通

・1983年(昭和58年)集中豪雨で約二ヶ月不通

・2006年(平成18年)7/19:豪雨による土砂崩れで不通
 2006年 12/15:浜原~三次間運転再開
 2007年 6/16 全線復旧 復旧費用約15億円

・2013年(平成25年)8/1:豪雨で石見川本~浜原間不通 8/12復旧

・2013年(平成25年)8/24:豪雨で全線不通
 9/1:浜原~三次間運転再開
 2014年 7/19:全線運転再開 復旧費用約10億8000万円

三江線が豪雨災害、土砂崩れに弱いことが分かる。しかも復旧に時間とコストがかかり不通期間が長い。

最後に、神楽は江の川沿いに島根から広島に伝わったという歴史があるそうで、三江線沿線には「大元神楽」「阿須那系石見神楽」「高宮系神楽」「備後系神楽」などの多彩な神楽があるという。言い換えれば三江線は神楽伝播のルートを走っているとも言えるのだ。そこで各駅に「神楽愛称駅名板」が設置されている。神様の力が必要なのかもしれないが、微力ながら応援がしたいので、また乗りに行こうと思う。

ここに「神楽愛称駅名板」が掲載されてます。
http://sankousen.com/wp-content/uploads/2012/10/92b2bb6d84b0b7b1dd7c3a8ed4485aba.pdf


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