ここ6〜7年ぐらい、そう思ってる。けっこうマジ。

名前を売る人は、それはその世界で泳ぐ人たちだから、すごい。パワーを感じる。収入もけた違い。

自分みたいな中途半端であしたあさって死ぬような人間は、「名前っている?」っていつも感じてる。残念すぎる人種だよね。

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たとえば鉄道関係の現場発表会。ここ数年、指示がなければ行かないけど、たまに行くと遭遇するのは、内容は同じ横並びで、決死の覚悟で記名でテキストと画像を並べて世に投げる。で、やったぜ! みたいな。

あるとき、とあるメディアにお願いしたときがあった。「今後は名前をなしにしてもらって、内容だけだしたい」って。

―――世の中、名前がいらなくなるっていつも思ってる。もちろん名前を出して生きるご職業の人はいっぱいいる。

実は、その世界の人じゃないって自覚すると、けっこう楽だったりする。

名前とかイメージを売る人のほうが、華麗ですてき。いつもきらきら。うらやましい。ほんとうにいまをときめいてる。

3年前ぐらいから、Google検索に自分の名前が検索結果に表示されなくなった。これを体感したときはもう、「よーっし!」って……以下、略。

ここまでくるとたとえば、仕事でかかわる鉄道とか乗り物まわりが自分のなかで変わる。テレビも雑誌もラジオもネットも、関連するコンテンツをほとんどみなくなった。

もちろん仕事まわりの数字(データ)は追いかけるけど、なかみはほんとうにみなくなった。興味がないといったら仕事関係者に怒られるから、いえないけど。

最近おもうことがある。名前を出す人たちも、そんなに鉄道って、思ってる以上に興味ないんじゃないかなって。

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