留置線に並んだ500形「ロケット号」、700形、デキ3(筆者撮影)

JR高崎線の電車が高崎駅に入線する直前、進行方向左側の車窓に色とりどりの電車が現れます。高崎~下仁田33.7キロを結ぶ上信電鉄(上信線)。会社設立は明治年間半ばの1895年で、2025年12月に創業130周年の節目を迎えます。

現存する全国の私鉄では、南海電気鉄道(阪堺鉄道・1884年)、伊予鉄道(1887年)、西武鉄道(川越鉄道・1892年)に次ぐ4番目の長い歴史を持つ名門。沿線には2014年、ユネスコの世界文化遺産に登録された富岡製糸場があります。

2025年10月25日、高崎駅に隣接する本社と車両検修場で開かれた「頑張るぐんまの中小私鉄フェア2025」。公開された車両基地では、群馬だけでなく日本の鉄道界を代表するオールドスターで、大正生まれの凸型EL(電気機関車)・デキ3をはじめとする車両群に熱い視線が注がれました。

フェア当日は本社屋上を開放。高架上を走る上越(北陸)新幹線や、JR高崎駅を発車した上野東京ラインが間近に眺められます(筆者撮影)

「群馬から宇宙へ」(ロケット号)

会場には10時のスタートと同時に、大勢のファンが詰めかけました。用意された催しは全部で約20件。車内や運転台が開放されたのが「503-504ロケット号」です。

IHI(旧社名・石川島播磨重工業)グループの宇宙ベンチャー企業で、上信線沿線の富岡市に本社を置くIHIエアロスペースの特別塗装車で、2025年10月にデビューしたばかり。タネ車のデハ500形は元西武の新101系電車です。車体に描かれた「群馬から宇宙へ」が夢をかき立てます。

群馬発宇宙行き! ヘリコプター、気球などが描かれた特別塗装車「ロケット号」(筆者撮影)

ロケット号と並ぶスターがデキ3。大正年間の1924年、前身の上信電気鉄道がドイツのシーメンス社から購入したELで、デキ1~3の3両あり、貨物列車のほか戦後まもなくは国鉄高崎線から乗り入れた客車列車をけん引したことも。

現在はデキ3が残り、いわゆる車検切れで本線走行はできないものの、構内走行で来場者を喜ばせました。

自走できないものの電車に押されて構内走行したデキ3(写真:上信電鉄)

上州と信州をつなぐ鉄道を夢見て

ここから上信電鉄のミニヒストリー。沿線は明治の主力輸出品・養蚕業が盛んでした。日本の鉄道開業と同年、1872年に設立されたのが官営模範器械製糸場。後の富岡製糸場です。

上信線は生糸輸送を主目的に1897年、高崎から福島(現・上州福島)、南蛇井(なんじゃい)と路線を延ばし、同年内に下仁田まで全通しました。

当初の社名は上野(こうずけ)鉄道。SL運転の軽便鉄道でしたが、大正年間に改軌、電化で一般鉄道に。上信電気鉄道を経て戦後、現社名に代わりました。

上信の社名は信州(長野県)への延伸構想があったから。実現には至りませんでした。

上電やわ鐵がブース共演

今回のフェアを主催したのは中小私鉄等連携会議です。やや分かりにくい名称ですが、アタマに群馬県を付ければ一目瞭然。群馬県が上信のほか上毛電気鉄道(上電)、わたらせ渓谷鐵道(わ鐵)の県内ローカル3社をまとめ、各社3年に一度の〝トリエンナーレ方式〟でイベントを持ち回り開催します。

群馬は典型的なマイカー王国。県によると、鉄道やバスの公共交通利用者は全体のわずか2.8%。100メートルの移動もクルマに頼る人が4人に1人で、中小私鉄フェアのように家族で楽しめるイベントで、県民の目を鉄道に向けてもらいます。今回も、物販コーナーに上電やわ鐵が出展しました。

運転席に座った現代の子どもはタブレット端末で撮影。さすが!(筆者撮影)
会場の一角では歴代ヘッドマークが展示されました(筆者撮影)

今も活躍する元・JR東日本107系

上信線ではさまざまな車両に出会えます。ロケット号の500形以外では、1981年新製の6000形と250形。自社発注の新製車で、いかにも地方私鉄らしい好感度大のデザインです。

主力車両が2019年から営業運転に入った700形電車。JR東日本から譲受した元107系で、1988年から国鉄の165系急行形電車の下回りを流用して27編成(54両)製作され高崎エリアでも活躍しましたが、2017年までに引退。上信700形は編成ごとにカラーを変え、撮り鉄にシャッターチャンスを提供します。

蛇が集まる泉があった(?)

フェア開催日、「1日フリー乗車券」がサービス価格で販売されていたので高崎~下仁田の全線に乗り鉄しました。

高崎を発車した電車は南下した後、西に進行方向を変え、名峰・妙義山の山すその下仁田に向かいます。上信線は1980年代に軌道強化や曲線改良で設備近代化。走行中の揺れは比較的少なく、快適に移動できます。

全線単線ながら、富岡製糸場へのアクセス駅・上州富岡は2面3線で、臨時列車に対応します。

沿線で有名(?)なのが、おもしろ駅名の南蛇井。駅名の由来は、川幅が広い場所を意味するアイヌ語の「ナサイ」とも、蛇が集まる泉の伝説とも。諸説あります。

終点の下仁田、ネット情報ではホーム1面の頭端駅となっていますが、実際には現在は使われていない留置線が多数あり、鉄道全盛時の名残をとどめます。

現役はホーム1面ですが、多数の留置線が鉄道全盛期をほうふつさせる終点の下仁田駅(筆者撮影)

観光バブルだった富岡製糸場

〝地方鉄道応援団〟の筆者としては。「上信線は沿線に世界遺産の富岡製糸場があって千客万来」と書きたいところですが、残念ながら世の中それほど甘くありません。

世界遺産登録の2014年度、年間140万人に迫った製糸場見学者は2024年度には3分の1以下の約37万人に。歴史遺産に不適切な表現かもしれませんが、ブームは過去のものです。上信線沿線には富岡製糸場以外にスポットは少なく、終点の下仁田も閑散としていて、駅で折り返して高崎に戻らざるを得ませんでした。

地元の事情知らずで申しわけありませんが、下仁田は全国ブランドの「下仁田ネギ」の産地。例えば、駅前に下仁田ネギのスポットでもあれば、観光鉄道としての魅力アップの可能性もあるように思えました。

最後に「上信電鉄130周年記念写真コンテスト」の告知。作品募集期間は2026年4月1日~5月31日とまだ先ですが、写真を撮りためてもらおうと前打ち。詳細はホームページで案内します。

富岡製糸場の世界文化遺産登録を機にリニューアルされた上州富岡駅(筆者撮影)

記事:上里夏生

【関連リンク】